介護系リハビリの人はリラクゼーションもやっておくといい説
どうも、脱サラ理学療法士のぼんぼりです。
相変わらず迷子になっておりますが、このブログだけは1ミリずつでも進めていきますよ。
ということで、今回はリラクゼーションのススメです。
早速みていきましょう。
介護系のリハビリだけだと顧客が限定的
介護分野だと、相手はおじいちゃん・おばあちゃんだけです。
もちろん、それ自体が問題ではありません。
介護という市場が高齢者というだけです。
ただ、対個人としての経験を積むという点では、年齢層が偏ってしまいます。
それに対して病院やクリニックであれば、介護事業に比べれば老若男女さまざまな層の人たちと触れ合う機会があるのです。
ネットから簡単に面談申し込みはできるので、サクッと業界に飛び込んでみるのは大いにありだと思いますね。
世代ごとに違う身体
同じ「人間」相手なのだから、年齢にとらわれる必要はないという考えもあるでしょう。
しかし、同じ世代の人しか相手にしたことがないというのは、リハビリ上かなり不利な状況だといえます。
それは、時系列で人を見ることができなくなるということです。
たとえば、介護分野でしかリハビリの経験がないというのであれば、若い世代の身体をあつかうときにギャップを感じてしまうかもしれません。
ストレッチのエンドフィールでも、高齢者と若年者ではまるで違います。
ちなみに、介護事業でのリハビリしかしていない人であれば、リラクゼーションは注意すべきです。
まず、力の強弱がまったく違います。
なかには、どれだけ強い刺激でも何も感じないというお客もいるのです。
市場によって、求められるサービスが違うということを痛感しますね。
人の身体を流れのなかで評価できるようになる
これが僕の目指す臨床家の眼ですね。
たとえば、人の手のひらをみてある程度その人となりが見えてくるとか。
そういった眼は、やっぱりたくさんの人と触れ合うなかでしか磨かれないと思うんですよ。
特に、作業と身体の関係性には注目したいところですね。
具体例を挙げると、日常的に安全靴をはいている人って、足関節の底屈が思いっきり制限されています。
そういった人たちが、年をとるとどんな身体になっていくのか。
ここで高齢者とのふれあいが活きてきます。
若年者から高齢者まで、まんべんなく触れ合うことで始めて流れのなかで人を見ることができるんですよ、きっと。
ここまでくれば、もう、リハビリだろうがリラクゼーションだろうが、あまり関係ないような気がしますね。
ドロップアウトしてるやつが何言ってんだよって話ですが、個人としての人を見る技術ってのはこういうことじゃないのっていうただの主張です。
このブログのテーマでもある「国家資格を捨てて」っていうのは、理学療法士としての生き方を捨てるわけじゃなくて、制度的な枠組みで働くことからドロップアウトするってことですからね。
個人で活動するためのパワーを、コツコツためていきますよ!
そのためにも、在宅ワークで生活できる力もつけておきたいところ…
リスクヘッジですね。
やっぱり、子育てにも参加したいですし…
とにかく勉強あるのみ!
在宅ワークなら、最初はしんどいけどサグーワークスから始めるのもありです。
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